スキップしてメイン コンテンツに移動

相手が話題を脱線させた場合の対応 ― 自分の義務ではない

議論や対話している最中に、相手が当初の話題から脱線し、関係のない話に方向転換することがあります。このような場合、自分には話を元の軌道に戻す義務があるのでしょうか。本解説では、この点について論じたいと思います。

話題の脱線は相手の責任

話が脱線するのは、話題提供者である相手の意思決定によるものです。したがって、話がその場で方向転換した責任は相手にあると見るべきです。

自分が話の監督責任を持っている訳ではありません。監督責任を放棄したのはむしろ相手の方です。従って、話題が元の軌道を外れたことの責任は相手が負うべきなのです。

自分に脱線修正の義務はない

話題設定の権利も責任も相手にある以上、自分には脱線した話題を強制的に修正する義務はありません。むしろ、相手の提案した新しい話題の方向性を尊重するのが礼儀正しい対応といえるでしょう。

無理に話を元に戻そうとする必要はなく、相手が望む新たな話題で議論を進めることを選択肢として検討可能です。話題設定権は相手にあることを認め、それに従うことが賢明な対応となります。

最後に

以上より、相手の脱線がその人の意思表示である以上、自分には話題を元に戻す義務はないと結論付けられます。むしろ脱線した新話題の有用性を探る柔軟な姿勢が望まれます。話題権は相手にあることを尊重し、新たな方向性を歓迎するのが賢明な対応といえます。



コメント

このブログの人気の投稿

価値観を共有できない人とは関わらないのが平和

人生を無駄にしている一つの原因は、「価値観が違う人を説得しようとしている」ことです。良くあるのは、自分が「簡単に」理解できることは相手も当然簡単に理解できると勘違いしていることです。 この勘違いによってお互いがストレスになるわけです。絶望的ですが幸いなこととして、「人の性格は変えられない」と言うものがあります。最悪な例として「刑務所」とか「更生施設」が失敗している点です。私の意見ですが、どちらも懲罰としての機能しか満たしていないと考えます。 そう、国の賢い方々も人を更生することは無理なのです。だから、分野外であまり賢くない私たちも出来ないのは無理なのです。 レイダリオ氏は ページ399 同期をとる で「価値観での違いを調整できない…その人との関係を保つ価値があるか」と言っています。 そう、ダリオ氏でもお互いの価値観を調整することは出来ないわけです。無理なら関係を止めると言っているわけです。 最初に言った通り、人生を無駄にしている要因としては、「人は説得すれば必ず理解できるという幻想にとりつかれているところです」もちろん、そういうケースが完全に無いわけではありませんが、殆どないと考えても良いわけです。 ダリオ氏などの有名人が言っているから無原則に従うという考えが良くなければ、あなたに対する対応を考えてみて下さい。 特に好きではない物を会うたびに勧めてくる人は良いと思いますか? 大体はウザい人だと考えます。 もし、価値観の違う人を説得しようとしていれば、あなたはそのウザい人です。 これなら、ダリオ氏が言っているから無原則に従うではなく、ウザい人だと思われたくないからやらないとなると考えます。 これ以外にもダリオ氏の本には「理詰めで考えて疲れている人」が同意できるケースが多く取り上げられています。 もちろん、ダリオ氏は投資家なので投資に関する話に絡めて説明していますが、投資の部分を抜きにしても役立つ本だと考えます。是非、読んでみて下さい。

ビアーズタウンのおばあちゃんたちの株式投資大作戦(ウォール街のランダム・ウォーカーを読んで) 詐欺かインチキか

 『ビアーズタウンのおばあちゃんたちの株式投資大作戦』という本が日本で出版されました。私は直接読んだことは無いのですが、このタイトルから堅実な投資をして儲けを出すことが出来るという印象が強くなると考えます。 おばあちゃんの知恵とかおばあちゃんの何とかとか聞くと、年配者は人生で人間性を高め知恵を成熟させると勝手に思い込んでしまうわけです。しかし、それはただの決めつけでもあります。 良く考えれば年を取れば自動的に賢くなるなどおかしいわけです。まず、年を取ればボケます。頭の回転も悪くなります。ここだけ考えても「老人=成熟した知恵を持っている」は必ずしもそうでは無いわけです。 更に「老害」って言葉もあります。老人になると頭が固くなり人の意見を聞かなくなるというものです。 そう「老人は老害にもなり、成熟もするのです」。こう考えると若者と変わらないわけです。 あまり使いたくない言葉ですが「良いものもあれば悪いものもある」というあれです。「若者だから誠実」「年寄りだから成熟している」「若気の至り」「老害」とすべてのパターンがあるわけです。 話が長くなりましたが『ビアーズタウンのおばあちゃんたちの株式投資大作戦』という書籍は嘘であったと『ウォール街のランダム・ウォーカー』の201ページで書かれています。 その老人たちの投資は粉飾があり、一番大きかったのはそのクラブの会費も含んでいたことです。そう、運用ではなく会費で儲けていたわけです。 おばあちゃんたちの知恵を信じたいですが、残念ながら彼女たちは知恵もない普通のおばあちゃんだったという事です。

モンドリアンの絵は既に高速で動いている

モンドリアンの絵に対してモビール彫刻の作家である「アレクサンダー・カルダー」( wikipedia )は絵画が動いたらどんな感じになるのだろうか?と言う閃きを口に出した時に 「私の絵画は既に高速で動いている」 と一蹴したと言われています(図録 純粋な絵画を求めて P13)。 これは興味あるエピソードですが、色々な見方が出来ると考えます。私が思いついたのは、意外にモンドリアン氏は考えが狭いというところです。持論はともかく、とりあえずモンドリアンの絵で動く絵画を実験してみても良いと考えます。 次に思いついたのが、アーティストは寄り道は出来ないという点です。芸術の手法は多くあり、モビールなどの動く彫刻や抽象画など幅広いです。その中でモンドリアン氏は自身の抽象画という部分にフォーカスをした結果の意見だったかもしれません。 まあ、この話で不仲になったかどうかは図録には書かれていませんが、強い創造性の間には、強い反発する力が現れるのではと感じました。 悲しい点ですが、個性を発揮する場合は交流関係は狭くなるのではと考えます。 あと、芸術家でなくても仕事などプライベートなことを話さない人は多いです。例えば、良く遊ぶ友人なのに仕事の詳細を知らないという感じです。これも、プライベートでは意見の衝突を避けたい結果なのかなと感じています。 Amazonで人モンドリアンについての本を探します