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釈迦に念仏 は大きな悪影響があります

「釈迦に念仏」という言葉があります。意味としては「達人に対して素人が教える」みたいな意味です。そして、この意味はどちらかと言うとウザい事はするなと言う考えが強いです。 達人に説明をしてもウザいだけだからやめよう。という感じです。迷惑なのは達人側で、念仏を唱える側の悪影響については言及されていません。 これに関して「レイ・ダリオ氏」はやや異なった意見を言っています。 『人生と仕事の原則』のページ404では、「ベーブルースから野球のレッスンを受けているときに、野球を知らない人がルースに対して議論を吹っ掛けることは、全体に害がある」としています。 そう、釈迦に念仏は釈迦だけが迷惑なわけでは無く、その周りの人全員に問題があるわけです。 ただ、ダリオ氏も「ルースが最高のバッターであったとしても、その指導を全て鵜呑みにすることも間違っている」としています。 「釈迦に念仏」や「野球素人がベーブルースにバッティングの議論を吹っ掛ける」事は意識して止めてください。 そして、誰しも自然とやってしまっています。 この癖を止めるには、こちらが教わっているときは聞くに徹することだと考えます。反対に指導しているときに批判されたら、「よく知っていますね。本当に私の指導が必要なのですか?」と返してください。 これが平和で時間を有効活用できると考えます。

定例会議は全体の効率を上げる

最近はデジタルツールの進歩で昔ながらの定例会議は減っています。10年前ですら私の所属していた会社も定例会議と言うものがありませんでした。疑問に思ってマネージャーに聞いてみましたが、話したいことがあれば個別に話せばよいし、グループウェアや社内のシステムに入力すれば良いとのことでした。 実は私の人生では定例会議が無かった職場はそれが初めてでした。大体は週一での全体会議がありました。現場作業ですと毎日朝礼があったりします。 私としてはそれらは、情報の共有として良い仕組みだと考えていました。私の言いたいことも全体に伝わりますし、他のスタッフも同様です。 ただ、定例会議が無い組織ではそれはありませんでした。 案の定、定例会議が無かった会社では、トップダウンの指示だけで、ボトムアップと言うか現場の情報がそれぞれの個人で止まっていた感じがあります。 当然聞けば教えてくれますが、全員と立ち話する時間も無いですし、そもそもその情報の存在を知らないわけだから無理なわけです。 ただ、レイダリオ氏は ページ531で「精密に組織を動かすには定例会議をしよう」と提案しています。 残念ながら、ダリオ氏は理由の詳細は説明していません。なので気持ち悪さは残りますが、ダリオ氏又は彼の会社であるブリッジウォーター社は当然定例会議が行われていると考えます。 私としては、最初に述べた通り定例会議があればお互いの情報をシェアできて役立つことは多いと考えます。そのため賛成です。 ダリオ氏の本に関しては、この件に関して「定例会議は良い」と言っているだけで理由を深堀していないのが残念なところです。

価値観を共有できない人とは関わらないのが平和

人生を無駄にしている一つの原因は、「価値観が違う人を説得しようとしている」ことです。良くあるのは、自分が「簡単に」理解できることは相手も当然簡単に理解できると勘違いしていることです。 この勘違いによってお互いがストレスになるわけです。絶望的ですが幸いなこととして、「人の性格は変えられない」と言うものがあります。最悪な例として「刑務所」とか「更生施設」が失敗している点です。私の意見ですが、どちらも懲罰としての機能しか満たしていないと考えます。 そう、国の賢い方々も人を更生することは無理なのです。だから、分野外であまり賢くない私たちも出来ないのは無理なのです。 レイダリオ氏は ページ399 同期をとる で「価値観での違いを調整できない…その人との関係を保つ価値があるか」と言っています。 そう、ダリオ氏でもお互いの価値観を調整することは出来ないわけです。無理なら関係を止めると言っているわけです。 最初に言った通り、人生を無駄にしている要因としては、「人は説得すれば必ず理解できるという幻想にとりつかれているところです」もちろん、そういうケースが完全に無いわけではありませんが、殆どないと考えても良いわけです。 ダリオ氏などの有名人が言っているから無原則に従うという考えが良くなければ、あなたに対する対応を考えてみて下さい。 特に好きではない物を会うたびに勧めてくる人は良いと思いますか? 大体はウザい人だと考えます。 もし、価値観の違う人を説得しようとしていれば、あなたはそのウザい人です。 これなら、ダリオ氏が言っているから無原則に従うではなく、ウザい人だと思われたくないからやらないとなると考えます。 これ以外にもダリオ氏の本には「理詰めで考えて疲れている人」が同意できるケースが多く取り上げられています。 もちろん、ダリオ氏は投資家なので投資に関する話に絡めて説明していますが、投資の部分を抜きにしても役立つ本だと考えます。是非、読んでみて下さい。

知らないことを恥ずかしいと思う人に注意しよう

  昔から気になっていたことですが、分からないことに対して「ごめんなさい」と謝る人がいました。私としてはかなり意味不明でした。 そりゃ、初めて聞くことに関して知らないのは誰もが普通だからです。 仮に知らないことを悪だとすると、全ての事を知ることで善になるわけです。はっきり言ってそんなわけありません。 こんな私の疑問にも『レイ・ダリオ』氏は答えてくれています。はっきり言って、ダリオ氏の本を読むと理詰めで悩んでいる人は安心できるのではと考えます。(ページ393 4.同期をとる c.知らないことを恥ずかしいと思う人に注意しよう。 レイダリオ氏が「知らないことを恥ずかしいと思う人」が悪いという理由は、目標を達成するより体裁を気にして進歩しないと言っています。 そう、間違うのは恥ずかしいからやらないという事です。 音痴の人が声を出すと恥ずかしいなどと言っていたら歌は上手くなりません。 自転車で足をつくことを恥ずかしいと思っていたら乗れるようにはなれません。 周りが、知らないことに対して謝ってきたら、その必要は無いことを根気よく伝えてください。誰しも、新しいことを始めれば知らないことは出てきます当たり前です。 自分自身も知らないことを指摘されたときは相手に失礼が無ければ謝らないでください。聞かれたことに関して「知らない」と言う事は悪くないわけです。 そうだ、知っているか聞かれて知らない場合に謝ってしまう場合は、誤るのではなく感謝してください。 ご足労してきた人の質問に答えられなかった場合は、「ご足労ありがとうございます。でも、質問の内容は知らないです」これでいいわけです。これで不要な謝罪が無くなります。

レイダリオ氏と歯科治療

  レイダリオ氏の気になった点は 歯科治療と自動車の修理は自分の責任と言う点です。 これに関しては同意出来ません。 ページ370

人の頭の配線はそれぞれものすごく違う 誰もサボタージュもしないし、敵意も無い

  考えすぎでいわゆる神経質と周りから認定される自覚がある人は、レイ・ダリオ氏の『人生と仕事の原則』をお勧めします。多分ですが、相当理詰めで考えることが癖になっている人はダリオ氏に共感できるのではと考えます。 ページ234に「すべて生理的なことであると理解する…彼らは意図的に非生産的な行動しようと…」という部分があります。 周りが理屈的に考えておかしいと感じる行動をした場合、あなたは何らかの意図があるのではと勘ぐってしまうと考えます。 あなたに敵意がある 相手はわざとサボタージュしている でも、これらが間違えであることをダリオ氏が説明しています。ただ、このアイデアは全く新しい物ではなく、「ハンロンの剃刀」と言われる言葉で古くから言われています。 ハンロンの剃刀とは、単なるミスを恣意的な行動と解釈することです。AppleのSiriが一部の分野に関して回答をぼやかした場合に、Appleはその分野を意図的に避けていると考えることです。この場合は単なるSiriの技術的欠陥であり恣意的ではないという事です。 ダリオ氏は、「人の頭の配線はそれぞれものすごく違う」と言っています。人の頭は統一されたコンピュータアルゴリズムやフォーミュラー(公式)で反応しているわけでは無く、全て違う回路やアルゴリズムで処理されているという事です。 誰が答えても1+1は2になりますが、その頭の中での計算方法は100人いれば100人が全く違う方法で計算しているわけです。目で1+1を計算式として解釈する方法は人それぞれです。そしてその演算結果を紙に書く方法も人それぞれが全く違う方法で行っているわけです。 このことを理解すれば、他人の間違えに関して今までよりは冷静になれると考えます。 話はずれますが、ドラレコで撮影される酷い運転の動画があります。実はあれも、完全に当人の責任ではないと考えます。乱暴に見える運転も当人からすれば何も問題が無いと感じているわけです。 ただ、残念ながらそんな人は運転と言う意味では生産性を極端に下げるので多数決で運転免許をはく奪する方向で動きます。 これらも、正義感を持つよりは、「人の頭の配線はそれぞれものすごく違う」と考えてみるべきです。