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レイダリオ氏と歯科治療

 

レイダリオ氏の気になった点は 歯科治療と自動車の修理は自分の責任と言う点です。

これに関しては同意出来ません。 ページ370

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価値観を共有できない人とは関わらないのが平和

人生を無駄にしている一つの原因は、「価値観が違う人を説得しようとしている」ことです。良くあるのは、自分が「簡単に」理解できることは相手も当然簡単に理解できると勘違いしていることです。 この勘違いによってお互いがストレスになるわけです。絶望的ですが幸いなこととして、「人の性格は変えられない」と言うものがあります。最悪な例として「刑務所」とか「更生施設」が失敗している点です。私の意見ですが、どちらも懲罰としての機能しか満たしていないと考えます。 そう、国の賢い方々も人を更生することは無理なのです。だから、分野外であまり賢くない私たちも出来ないのは無理なのです。 レイダリオ氏は ページ399 同期をとる で「価値観での違いを調整できない…その人との関係を保つ価値があるか」と言っています。 そう、ダリオ氏でもお互いの価値観を調整することは出来ないわけです。無理なら関係を止めると言っているわけです。 最初に言った通り、人生を無駄にしている要因としては、「人は説得すれば必ず理解できるという幻想にとりつかれているところです」もちろん、そういうケースが完全に無いわけではありませんが、殆どないと考えても良いわけです。 ダリオ氏などの有名人が言っているから無原則に従うという考えが良くなければ、あなたに対する対応を考えてみて下さい。 特に好きではない物を会うたびに勧めてくる人は良いと思いますか? 大体はウザい人だと考えます。 もし、価値観の違う人を説得しようとしていれば、あなたはそのウザい人です。 これなら、ダリオ氏が言っているから無原則に従うではなく、ウザい人だと思われたくないからやらないとなると考えます。 これ以外にもダリオ氏の本には「理詰めで考えて疲れている人」が同意できるケースが多く取り上げられています。 もちろん、ダリオ氏は投資家なので投資に関する話に絡めて説明していますが、投資の部分を抜きにしても役立つ本だと考えます。是非、読んでみて下さい。

ビアーズタウンのおばあちゃんたちの株式投資大作戦(ウォール街のランダム・ウォーカーを読んで) 詐欺かインチキか

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ルボンの群集心理の「黴菌」という言葉に反応するとタレブにバカにされます

ギュスターヴ・ル・ボンの著書である「群集心理」のページ19では群集を「黴菌」としています。これに関し武田砂鉄氏はNHKの番組の中で反応しています。おおよその意見としては 「今、こんな発言をしたら絶対炎上する」 です。私も一瞬そう思いましたが、原文を当たってみることにしました。こういう意味でインターネット時代はうれしく、群集心理の原文を見ることが出来ました。もちろん、私はフランス語は読めないので、とりあえず該当の部分を日本語版と比較して突き止めました。 Google翻訳を使ったところ、黴菌と訳される部分はmicrobesと書かれています。フランス語の意味は単に微生物です。 そう、群集心理の日本語訳がやや変なわけです。日本語で黴菌(バイキン)とは、「当事者に悪影響を与える微生物」という意味で使われています。だから、そんなものと人間を一緒にしたらいけないという意識が働いたと考えます。 すこし訳者を恨みたくなりますが、ある意味これもプロモーションとか販売促進の一環かもしれません。人々を黴菌扱いする本と言うことで炎上して話題になるわけです。そう、今でいう炎上マーケティングです。 ちなみに、黴菌と言う単語は冒頭で出てくるだけで、後は微生物とか適切な言葉が当てられています。だから、私は最初に黴菌と言う言葉を使ったのは販売促進の手法なのではと考えています。 他にはこの現象は人々の短絡的な部分を表に出しているのではと考えます。そう、言葉だけに反応して動くわけです。文章全体を見て判断するのではなく、単語で脳が逝ってしまうわけです。まあ、最悪です。ChatGPTは賢くなっているのに、人間の方は昔のデジタルコンピュータによる構文解析以下の知性になっているわけです。 痛烈に人を馬鹿にする「ナシム・ニコラス・タレブ」という著者は、単語だけで反応するのは良くないと言っています。まあ、当人はアホとか馬鹿とか間抜けとか言っていますけど。 「バカな人はココナッツ島でココナッツを探す」と言っています。正直、私はココナッツ島は知らないですけど、文脈から言うと「ココナッツ島という場所は名前だけでココナッツなど無い」と思われます。これに対して、そういう名前が付いているからココナッツがあると思い込むのは短絡思考すぎると警告していると考えます。 タレブは「宗教」と言う言葉は場所や時代で示している物は全く違うと言っ...