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定例会議は全体の効率を上げる

最近はデジタルツールの進歩で昔ながらの定例会議は減っています。10年前ですら私の所属していた会社も定例会議と言うものがありませんでした。疑問に思ってマネージャーに聞いてみましたが、話したいことがあれば個別に話せばよいし、グループウェアや社内のシステムに入力すれば良いとのことでした。

実は私の人生では定例会議が無かった職場はそれが初めてでした。大体は週一での全体会議がありました。現場作業ですと毎日朝礼があったりします。 私としてはそれらは、情報の共有として良い仕組みだと考えていました。私の言いたいことも全体に伝わりますし、他のスタッフも同様です。 ただ、定例会議が無い組織ではそれはありませんでした。

案の定、定例会議が無かった会社では、トップダウンの指示だけで、ボトムアップと言うか現場の情報がそれぞれの個人で止まっていた感じがあります。 当然聞けば教えてくれますが、全員と立ち話する時間も無いですし、そもそもその情報の存在を知らないわけだから無理なわけです。

ただ、レイダリオ氏は ページ531で「精密に組織を動かすには定例会議をしよう」と提案しています。 残念ながら、ダリオ氏は理由の詳細は説明していません。なので気持ち悪さは残りますが、ダリオ氏又は彼の会社であるブリッジウォーター社は当然定例会議が行われていると考えます。

私としては、最初に述べた通り定例会議があればお互いの情報をシェアできて役立つことは多いと考えます。そのため賛成です。

ダリオ氏の本に関しては、この件に関して「定例会議は良い」と言っているだけで理由を深堀していないのが残念なところです。



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