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モンドリアンの絵は既に高速で動いている

モンドリアンの絵に対してモビール彫刻の作家である「アレクサンダー・カルダー」( wikipedia )は絵画が動いたらどんな感じになるのだろうか?と言う閃きを口に出した時に 「私の絵画は既に高速で動いている」 と一蹴したと言われています(図録 純粋な絵画を求めて P13)。 これは興味あるエピソードですが、色々な見方が出来ると考えます。私が思いついたのは、意外にモンドリアン氏は考えが狭いというところです。持論はともかく、とりあえずモンドリアンの絵で動く絵画を実験してみても良いと考えます。 次に思いついたのが、アーティストは寄り道は出来ないという点です。芸術の手法は多くあり、モビールなどの動く彫刻や抽象画など幅広いです。その中でモンドリアン氏は自身の抽象画という部分にフォーカスをした結果の意見だったかもしれません。 まあ、この話で不仲になったかどうかは図録には書かれていませんが、強い創造性の間には、強い反発する力が現れるのではと感じました。 悲しい点ですが、個性を発揮する場合は交流関係は狭くなるのではと考えます。 あと、芸術家でなくても仕事などプライベートなことを話さない人は多いです。例えば、良く遊ぶ友人なのに仕事の詳細を知らないという感じです。これも、プライベートでは意見の衝突を避けたい結果なのかなと感じています。 Amazonで人モンドリアンについての本を探します

途中メモ センスの哲学 千葉 雅也 先天的、後天的の線引きこそあいまいです

  Amazonで購入します 書店で偶然見つけた面白そうな本です。「センス」という漠然とイメージだけで使われる言葉を考えている無いようです。まだすべてを読んでいないですが、最初の印象としては 「センスがいい」というのはちょっとドキッとする言い方…世間では気軽にセンスと言う言葉が使われている… (ページ10) がありました。これは怖く感じます。ドキッとさせる危険な言葉なのに気軽に使えている。アメリカの銃社会に通じるところがありそうです。 この本の中で疑問に感じたのは 18ページの例を著者は 「おや、違う話をまぜこぜにしていないか?」(ページ19) と突っ込んでいます。ただ、私は全て後天的に獲得したことという大枠でくくることが出来ています。そう、私が観た感じ混ざっていないのです。 「家から一番近い駅に行く」、「カツカレーを食べる」、「リンゴと聞けば意味が理解できる」 これらについて違う話を混ぜているように私は感じられません。全て後天的な学習による結果だと考えます。 ただ、これでも著者は後天的な部分と先天的な部分が混ざっていると言います。 まだ、結論は急ぎませんが先天的、後天的という話は論じている人の線引きの基準を明瞭にすることが非常に重要ではないかと考えます。