「私には○○する権利がある」という主張はよく聞きます。ただ、この言葉には無意識に抜けているところがあります。 まず、この主張をする人は既に○○に関する権利を持っていると考えています。これが、間違った認識なわけです。
では○○を具体的にしましょう。「私はこのグループに参加する権利がある」と主張している場合は、現在そのグループに入ることが認められていないということになります。仮にグループに入ることを認められていれば、そのような主張自体が無意味なわけです。
本書の ページ 156ではこの疑問に関して明確な回答を提示しています。
「私はキッチンを綺麗に使う権利がある」と家族が言っている場合、その家のキッチンは汚く、他の家族が散らかしている状態なわけです。
だから、「私には○○する権利がある」と言う場合は、その時点では権利など無いわけです。そして、その言葉は状態ではなく、未来への願望と他人に対しての主張があるわけです。
最後に、このことをAIチャットでディスカッションしてみました。是非、読んでください。
AIとのディスカッション
Q:自分には権利があるとう言動は、その権利を現在持っているわけでは無く、ない権利を要求していると考えてよろしいでしょうか?
A:はい、「自分には権利がある」と主張する場合、必ずしもその権利が現在認められているわけではないというご指摘は妥当だと思います。
「~する権利がある」と主張されることの多くは、現状としてはその権利が保障されていないにも関わらず、あるべき権利を訴えている場合が多いと考えられます。
例えば、以下のような主張が該当すると思われます。
- 女性の社会進出の権利
- 同性婚の権利
- 医療への平等なアクセスをする権利
- 宗教の自由に関する権利
これらは、現状としては保障されていない権利を訴える主張です。
したがって、「~の権利がある」と主張する場合、それが現在の権利かあるべき権利かを明確に区別する必要がある、というご指摘は妥当だと思います。
Q:自分自身が権利が認められていると認識がある場合、「私には権利がある」と主張などしないと考えてよろしいでしょうか?
A:はい、その点についてはおっしゃる通りだと思います。
自分自身がある権利を現在認められていると認識している場合には、「私には権利がある」とあえて主張する必要はないと考えられます。
なぜなら、
- すでに権利が保障されている以上、主張する必要がない
- 認められた権利を行使することが自然だから
- 主張していないからといって権利がないわけではない
- 認められた権利を主張することで、かえって対立が生まれる可能性も
といった理由から、認められた権利については、むしろ当然のこととして行使するのが自然だと思います。
おっしゃる通り、その場合には主張は不要だと考えられます。
こんな議論がAIチャットと出来ています。
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